船舶関連製品の製造をルーツに持つ藤木鉄工。
その技術は90年を経た今、都市づくりの未来に生かされています。
日本有数の建築物を手がける「鉄構部門」、街の生活基盤を築く「橋梁部門」の両輪で、暮らしと社会を支えています。
一貫体制を強みに、新潟はもちろん首都圏の大型案件も多数受注しています。
道路橋、鉄道橋、歩道橋など多様な橋梁を製作します。優良工事表彰も多数。
新潟の産業を支え、都市の発展に尽力してきた90年の歩みを紹介します。
昭和の幕開けからほどなく、港町新潟の中でも人やモノが行き交う新潟市入船町で、藤木鉄工所は誕生しました。当初の事業は船舶用タンク・ボイラーの製造。徐々に領域を広げ、創業から29年後の1956年、(株)藤木鉄工所として会社を設立します。1962年には鉄構工場・サッシ工場を構え、スチールサッシの製造をスタート。翌年にはアルミサッシの製造、その3年後には橋梁部門への進出を果たし、鉄骨・サッシ・橋梁の各分野で強みを発揮。県内で初めてBOX桁による橋梁を実現するなど、地域の先駆けとも言える存在へと成長していきます。
学校・公共施設・ショッピングセンターをはじめ、あらゆる建物の土台となる鉄骨やサッシ。日々の暮らしを便利で豊かにする橋や歩道橋。手掛ける物件が増すごとに当社の技術は向上し、街の発展へと直結していきました。
1980年夏に東京営業所、翌年秋には仙台営業所を構え、関東・東北を中心に活躍の場を広げ始めたこの頃。かねてから計画していた東港工業地帯への進出が本格化し、新工場が建設されました。同じ頃、売上高100億円を突破。社名を現在と同じ「藤木鉄工(株)」と改めた1961年には1億円台だった売上が、30年足らずで100倍ほどに成長したその軌跡は、社員たちの製品づくりに対するたゆまぬ努力の積み重ねそのもの。会社としても、海外研修の実施や生産体制の見直し、バースデー休暇の運用など就労環境を整え、社員たちの気持ちに応える取り組みに力を入れ始めました。
みなとみらい21横浜ランドマークタワー、NEXT21など、県内外を問わず大型構造物の施工に携わる機会が増えたのも、この頃。その多くが現在でも、シンボリックな存在として街を見守り続けています。
溶接ロボットをはじめ、最新設備の導入・更新を推し進めた2000年代。大きな鉄骨や細やかな加工など、さらに幅広いニーズに対応できるようになった当社に、お客様からの信頼は一層高まりました。イオン新潟南ショッピングセンターの鉄骨を手掛け、新潟の皆さんにより鮮やかな日々を提供するにすることに貢献できた経験は、私たちの胸に大きな誇りを残しています。その他、複数の物件で官公庁・ゼネコンから表彰をいただくなど、確かな技術を裏付けする称号を獲得。技術研究に力を注ぎ、日本有数の鉄骨橋梁メーカーとして、進取のノウハウを発信する役割も果たしていきます。
念願のブラスト工場を構え、さらに高品質な製品を実現できるようになった2014年。鉄骨工場最高位のSグレード認定を目指すプロジェクトが本格始動します。
製作能力や設備、技能者や技術者の人数や管理体制に応じてランクが定められている鉄骨工場。最高ランクとして認められるには、ハード・ソフト両面で高い障壁を乗り越えなければなりませんでした。プロジェクト始動から2年の歳月を経た2016年4月、ついにその時は訪れます。厳しい審査をクリアし、Sグレードの適合評価を受けた瞬間の感動を、私たちは忘れません。プロジェクトメンバーだけでなく、全社員が一丸となって目標に取り組み、大きな前進を遂げた経験は、確かな自信となって1人ひとりの心に刻まれています。
2017年には、2020年東京オリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場のスタンド鉄骨をメインで施工。国家的プロジェクトの一員としての重責を果たした今、私たちの視線の先にあるのは、2027年に迎える創業100周年。脈々と受け継がれるものづくりへの姿勢はそのままに、日本を代表する鉄骨橋梁メーカーとして、さらなる高みを目指します。